令和5年度仕事納めにあたり
瞬きする間の一年間
12月28日 本年も残すところあと僅かとなりました
私事ですが本年2月 亡母の葬儀および告別式に際しましては 御多忙にもかかわらず
ご会葬を頂き またご丁重なる御芳志を賜りましたこと 厚く御礼申し上げます
葬儀の折には混雑にとりまぎれ 何かと不行き届きの有りましたこと 深くお詫び申し上げます
亡母になりかわりまして ご厚情に心より感謝申し上げます
明治時代 笹原商産初代 故笹原 富美平(曾祖父)がここ幕別の地で雑穀・米・塩・酒・日用品・衣料品等の行商を始めました。戦時中は 食料の配給係を仰せつかったと聞いております。
少しずつ蓄えた資金で土地と山林を買い 初めの社屋を建てました。
「心頼依起勿」 富美平が書き記した言葉です。
・心の中で頼りに思うこと
・結婚の内約束
等の意味合いもあるようですが…心に決めたことは成し遂げなさい ということかなと捉えております。
二代目 笹原 登(祖父)は職業軍人でした。長男であった祖父は戦後 家業を継ぎ
先代の育てた立木をチップや当時の木柱を製造販売し、時代の変化に対応しコンクリート二次製品の製造へ
移行して行きました。
変わらず米塩酒等の販売も継続しており、この頃から私の朧げな記憶が蘇ってまいります…
年の瀬になると店先に、道産子に馬車を引かせて沢山のお客様がみかんやお酒を木箱でお買い上げ頂いている
情景が美しく懐かしい思い出です。
また、チップの新鮮な木の香りが大好きで、コンクリート二次製品の製造現場も私の遊び場でした。
護岸ブロックを飛んで回ったり、コンクリート排水管をトンネルに見立てて くぐり抜けたり…
職員の皆さんが運転する大きなダンプカーに乗せてもらい走る景色はキラキラと輝いておりました。
「本資限無用行」 登が書き記した言葉です。
学が無く読めない事が残念ですが…
資本を最大限に活かしなさい ということかなと捉えております。
三代目 笹原 信勝(父)は 大学卒業後 東京の管工事会社で現場代理人をしておりました。
母と結婚し 家業を継ぐこととなりました。
当初はチップ・ブロックを祖父と共に経営に携わっておりましたが祖父から「やってみないか」と
背中を押す一言から 笹原商産の設備部が誕生しました。
当時十勝は未だ設備という言葉は珍しく<ポンプ屋さん>という存在だったようです。
高度成長期の流れの中で建築物が大きく変容し、わが社の業態も管工事に凝縮され今日に至っております。
CADの無い時代 ドラフターで図面を描く父の姿
配管を溶接する父や職人さんの姿
夏休み 冬休み 職場に行っては 職員の皆さんのお邪魔になっていたであろう私は
衛生器具や配管資材のカタログは絵本の代わり
修理のお手伝いと称して工具で遊んでおりました。
幼少期スチュワーデスになりたいと呟いていた私の夢は、いつしか家業を継ぐこととなりました。
「人 水 空気」
人が生きていく上で欠かせない資本を整備する集団であり続けたい
「一代目には産みの苦しみ
二代目には二代目の苦しみ
三代目には三代目の苦しみが有る
時代 時の流れ 変化 環境 それぞれの背景があり
それぞれが社会に必要として頂くために いかに生きるか
そして 続けることの価値を見出し 社会に貢献する企業であるように」
父 信勝が常々私に伝えてくれる言葉です。
4代目となり来春11年目を迎えます。
本年は 迎える10年の礎となるよう 社内体制の整備と中間管理職の体制強化に着手するとともに
社屋周辺の再整備が完了
人事考課制度を各段階での職員育成の観点を重視した形で整備中
有難くも忙しい一年となりましたことに 心より御礼申し上げます。
お声かけ下さるお客様
ご指導ご鞭撻くださる先輩の皆様
ご協力くださる協力会社、商社の皆様
共に汗を流してくれる社員の皆さん
皆様と共に 未来を創造し 歩み続けて参る所存です。
本年も大変お世話になりました。
皆様方におかれましては、今後とも変わらぬご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます。
結びに
皆様のご健康と、ご健勝でより良い年末年始をお迎え下さいますよう心より御祈念申し上げます。
株式会社 笹原商産 代表取締役 笹原早苗